弐拾九。横   綱


   大相撲夏場所の終盤戦だった。初日から12連勝と快進撃を見せた大関稀勢の里に対し、審判部内にこんな声が上がったそうです。
 「稀勢の里が14勝したら、優勝なしでも(横綱昇進を話し合う)理事会の招集を八角理事長(元横綱北勝海)に要請してはどうか」と。
 結果的に稀勢の里は13日目に横綱白鵬に完敗し、14日目の横綱鶴竜戦も黒星。千秋楽の横綱日馬富士戦に勝っても、13勝にとどまる見通しとなったため、千秋楽の正午から行う可能性があった審判部会は開かれず、優勝なし昇進の話は幻に終わりました。
 だが、もしも稀勢の里が14勝を挙げ、審判部が優勝なし昇進もありという判断を八角理事長に上げていたら、日本中が大騒ぎになっていたのは間違いない。というのは、1986年に優勝経験がないまま横綱に昇進した双羽黒が、昇進後も優勝できないまま、在位8場所で引退した前例があり、その反省から旭富士以降の9横綱は2場所連続優勝(鶴竜は優勝同点、優勝)で昇進しているからです。
  横審の内規が制定されたのは、本場所が年6場所制になった1958年(昭和33年)1月6日である。本来は「最低でも『大関で2場所連続優勝に準ずる成績』」であるべきという見解が正しいのですが、それ以降「~準ずる成績」の部分が拡大解釈され、多分に興行上の必要性もあって、殆どの大関は連続優勝を果たさなくても横綱に昇進していました。年6場所制以降でかつて昭和時代、「大関で2場所連続優勝」で横綱昇進したのは大鵬、北の富士、琴櫻の3力士のみという状態であり、そのため、これに対して「粗製濫造」の批判が高まったわけです。
とりわけ、1987年(昭和62年)12月に一度も優勝経験が無かった第60代横綱・双羽黒光司が、当時の師匠(立浪親方・元関脇・安念山)らとのトラブルが原因で突如廃業するという事件発生。
横審の答申が問題視されるようになりこのため、それ以降平成時代に入ってからは、横綱推薦基準の第2項「大関の地位で2場所連続優勝した力士を推薦することを原則とする」を厳格に適用することになり、第63代横綱・旭富士正也から第70代横綱日馬富士公平までの8力士は、全員「大関で2場所連続優勝」の絶対条件で横綱昇進となる。

(過去の異例の昇進例)
1986年(昭和61年)9月
双羽黒光司(60代横綱)
10勝5敗(3場所前)
12勝3敗(2場所前)
14勝1敗(直前場所)
36勝9敗(3場所合計)
優勝回数(なし)

 私個人、ぜひ大関稀勢の里には意地でも横綱になってほしいと思います。
 実力を持ってらっしゃる方ですから、また来場所に繋げて相撲とっていただきたいです。


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